(社福)大阪児童福祉事業協会さんのお招きで、児童福祉施設で育つ高校生に対する自立支援プログラム「ソーシャル・スキル・トレーニング」の講師として、職業選択と職業適性に関する講義を担当した。
どう考えても、自分に適した分野ではない。職業適性検査など、私がやらなくてももっと上手にできる人はたくさんいる。
職業選択に関する講義も、私よりうまくできそうな人が数人は思い浮かぶ。
「それでも」と強くお声がけいただいたのは、私の生い立ちが関係しているのだろう。
「施設に入りたいくらい」な幼少期の環境から、大学教授&経営者・・・という道筋は、ある意味彼らに対する道標になるかもしれない。
でも・・・と、心の中で違う気持ちが湧き上がる。
自分は彼らの見本になるのか?模倣できるのか?
自分が人一倍努力したとかそんなことではなく、「正直、運が良かっただけ」という部分をどう伝えればよいのだろうか?
もちろん努力はした。運を引き寄せた部分も確かにある。
それでも、自分が生まれ育った時代は、貧乏でも稼ぎながら大学に行くことが可能だった時代。
自分が持って生まれた資質は、勉強に向いていたし、好きだった。そして勉強ができるというのはこの社会ではやはり有利な力。
そんなものは、望んで得られるものでもない。社会環境と遺伝子のなせる技だ。
それでもなお・・
と、また別の自分が語る。
今日よりも明日は良い日だと信じて生きられるように
そんな生き様を見せるのが年長者の役割ではないのか・・と。
大人にできるのは、自分自身の生き様を通して次の世代に希望を与えること。
それが一番大事な役回りなのかもしれないな。
そう思えば、努力だ大事だとか運の問題だとか、どうでもいいことに思えてきた。
そんなわけで、「楽しいカピバラおじさん」としてお話してきたとさ` エ)