「自分がやった」と口走る自称コーディネーター/プロデューサーを私は信用しない

ひょんなことから

それってコーディネーターじゃないよな…

という案件に出会ったので、よいコーディネーターとよろしくないコーディネーターの違いについて考えてみた。

といっても、この話は学問的な検証ではなく、私の経験値というか感覚の話だとご容赦いただきたい。

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1 全体の利益か自分の自分の利益か

よいコーディネーターは、コーディネートを通して、関わる人や組織全体の利益の最大化を目指す。

もちろん、その中に自分自身も入っているが、それだけのために他者を使おうとはしない。各ステイクホルダーの利益と社会的なインパクトを全て含めて最大の利益をうい出そうとする。

よくないコーディネーターは、自分が利益を得るために他者を組み合わせようとする。

自分にとっての利益が最大になるように設計し、その上で他者にも利益が及ぶようにする。ちゃんと他者の利益を考えてはいるのだが、それはある種の「経費」としての扱いだ。

2 描く未来像のために動くか利益のために動くか

よいコーディネーターは、自らが描く社会の未来像のために動く。

だから、例えば行政から「近いけどちょっとずれた」事業の委託の話があると、「それは本当に自分たちが作りたい未来に繋がるのか」「自分たちが進もうとする道程に対してどんな影響を与えるのか」を真剣に考える。

よくないコーディネーターは、行政などから声がかかると、まず自分を高く売り込むことに意識を向ける。

つまり、「自分を通すと話がうまく進むぞ」と陰に陽にアピールする。

3 他人がやったことを伝えるか、自分がやったように喧伝するか

これは、私がコーディネーターに限らず、人を見極めるのに使う尺度でもあるが、コーディネーターの場合が一番はっきりと差が見える。

よいコーディネーターは、自分がサポートした取り組みでも、主体的にやった人を前に押し出して紹介する
そして、自分や自社の名前があまり前に出過ぎないように配慮する。ステイクホルダーを「立てる」と言い換えてもよい。それによって、関わった人たちがさらに大きな取り組みに進めるようにすることを目論むからだ。

よくないコーディネーターは、すべて自分が設計し、回して結果を出したかのように振る舞う。

当然話は「盛り盛り」になるし、具体的な部分を聞くと曖昧になる。こういう人は、常に他人や状況を自分のコントロール下に置こうとする。しかも、中にはそれを無意識でやっている人もいて、これがよけいにたちが悪い。習い性になっている上に自覚がないから、全く改善の見込みがない。

4 意図を持ってつなぐか八方美人か

よいコーディネーターは、周囲の様々な資源を自ら意図を持ってつなぐ。

そして、その意図通りにならなくても、繋がれた当事者たちが新たな価値を生み出すなら、それをよしとする。

よくないコーディネーターは、深く考えずに、あるいは自らの利益につながるように資源をつなぐ。

自分がネットワークのハブになることで最も大きな利益(金銭の他に賞賛とか、コミュニティ内の立場とかいった自己承認欲求も含む)を得ようとする。

5 目立つ場にでたがるか隠れたがるか

よいコーディネーターは、最終的に自分がいなくてうまくいく状態を目指す。

そのため、よそからの横槍が入った時や、内部の不協和音が高まったときなど、リスク対応の際に表に出る。場合によってはそんな時でも、見えないところで貢献しようとする。

よくないコーディネーターは、「コーディネーターとしての自分」を売り込むために目立つところで表に出ようとする。

そして、汗をかく必要のある仕事は極力回避する。

 

いかがなものだろう?他にも様々な違いもあるだろう。よかったら教えてください。

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