ちょっとFacebookでやりとりしていた中で、大学のあり方について少し考えたことがあったので、揮発しないうちに残しておこうと思います。
 前提として、これはすべての大学人の共通見解ではなく私個人の見解であり、しかもこれが絶対的に正しいと主張するつもりもなく、よりよい解があればそれを目指したいと願っていると言うことを申し添えておきます。

1. そもそも大学の学びって?

 はじめに、多くの人が実感しにくいかもしれない話から。
 そもそも、大学の学びというのはどういうものでしょうか。
 それを一言で表すなら、

幅広い教養をベースに専門性の視点と手法で世界のメカニズムを解釈することができる

というもので、これはものすごく応用範囲が広いものです。
もちろん医師や教師といった専門職に就くには必須のものでもあります。
 ただし、それを実感できる機会は、よほどの専門職でない限りあまり多くはないかもしれません。なぜなら、

我々が生きているほとんどの場面で、メカニズムを理解することよりも、
それをどう動かすかと言うことが求められる

からです。

 つまり、自分自身が普段相対しているものごとのメカニズムに介入して、自分たちの世界を創るという視点がないと、大学で学んだことを応用するのは難しいというのが現状であり、「大学での学びは役に立たない」と思われる所以でもあります。
 さらには、社会生活で求められる機会の多い基本的なスキルとしての目標達成や人間関係構築といったことについては、明示的に学ぶ機会が少なく、仕事をしながら学ばざるを得ないという状況も付け加わります。

 私自身、元々は研究者ですので、学問は何かの役に立てるためではなく、自らの興味関心を突き詰める結果として知を深め、そのプロセスが結果として何かの役に立つという性質のものだと思っています。
 それだけに、役に立つかどうかはずいぶん後になってふりかえり意味づけを行って初めて言えることなのだとも思っていますが、

それって学者の逃げでしょう

と言われる可能性や、言いたくなる気持ちもよくわかります。
 特に大学進学率がこれだけ高くなり(これを大学のユニバーサル化と呼びます)、学問に対して高い関心と意欲を持つ人ばかりが進学するという建前が完全に崩壊している状況で、ここに書いたようなことを「正論」として振りかざしたところで、社会に受け入れられるとは思えません。

2. とはいえ、やっぱり役に立つ方がよい

 「大学とは本来こういうものだ」というそもそも論も大事なものではありますが、別の観点も忘れてはいけないと思います。それは対価を得る存在としての大学という観点です。
 大学は制度としての「学びの場」をつくり対価を設定しています。対価を支払う側はそれに見合う「価値」を求め、その「価値」を大学側だけで決めることはできなくなります。いわゆる顧客ニーズと対面する必要が出てくるわけです。大学関係者がどれほどあらがっても、対価に見合ったサービスを求められるのは、いわば必然です。
 企業活動ではごくごく当然のことなのですが、ここに大学ならではの戸惑いが生じます。企業であれば顧客への価値提供が最大の使命ですから問題は生じませんが、大学の場合、

学問の追究が同じくらい重要なミッションであり
しかもその成果を学生に還元することをもって教育としています

ので

学問の本質的な部分を守りながら、「本質的ではないと自分たちが考える」顧客ニーズに対応する

という、なんとも二律背反な状態になるわけです。

 さらに、人材育成という側面でも、多くの大学では

市民社会を主体的に支える人材の育成

というミッションを持っていますので、大学人は二段構えの矛盾を抱えることになります。しかも、このミッションも抽象的で中身が理解しにくい上に、一歩間違えると「政治的」と受けとめる人もでてきそうです。

 ここまでの話に対して、「そんなことをいっているから学者は浮世離れしているんだ」という声が聞こえてきそうですし、そう言いたくなる気持ちも理解できます。
 ただ、そういった「浮世離れをした人」たちがいたからこそ応用範囲の広い知見が人類の中に蓄積されてきたのは動かしがたい事実ですので、すこしだけ寛容な気持ちを持ってもらえると嬉しいです。
 とはいえ、研究者(ふつう、自分のことを学者という人はあまりいおらず、大抵は研究者といっています)というか大学人の側も、その寛容さに甘えていてはいけないと思っています。そもそも、この程度の矛盾を突破できなくては、頭を使うのが仕事の研究者としての甲斐性がないというものです。
 私自身はすでに研究をやめてマネジメントの世界にどっぷり入っていますし、その役割で大学にも籍を置かせてもらっているので、自分で「退役研究者」などと称していますが、それならもっと何か考えないと立つ瀬がありません。

 そのようなわけで、ひとつ私なりに考えた突破口を示しておきます。それが「世界をつくる」という視点です

3. 「世界をつくる」という視点

 学問を追究し、世界のメカニズムを理解するための視点や手法を学ぶと、その先に、

我々はどのような世界をつくるか

をイメージできるようになり、自分がどのような生き方をするかを深く考え、実践するようになります。その時点で初めて学びを役に立てることができるようになるのかなと思います。
 であれば、その機会をこれまでより早く提供することで、大学での学びの活かし方をイメージしてもらうことができると考えています。
 それは、具体的には、

社会連携・域学連携による世界をつくるための仮説検証

の機会です。

 正解を学んだり、落とし所の見える実験や実習に取り組むのではなく、

現実の問題に対して自ら仮説検証を繰り返して状況を改善する

ことを通して、世界のメカニズムを理解するという従来からの大学の学びを基盤にしながら、メカニズムに介入して問題を解決するといった、一段深い学びにつなげることができます。
 それは同時に実社会ですぐに必要な仮説検証や目標達成、協働の手法を経験を通して身につけることにもつながります。
 私がこれまで域学連携による授業科目やインターンシップなどの運営に取り組んできましたが、その眼目は、ここに書いたように

大学教育の本質を守りつつ、より世界に貢献できるものにアップデートする

という点でした。

 このようなプログラムは、えてして、社会人基礎力とか汎用的能力の向上という文脈で扱われますが、それは表層的な価値に過ぎません。
 本当の価値は、

大学で学んだすべての人が、自分自身で地を生み出し
それによって世界に貢献できるようになる

というところにあります。そのプロセスの中で実務的な能力も身につくのです。

大学がこういったことに真剣に、そして戦略的に取り組まなければ、そのうち本当に「大学は簿記と英会話とエクセルの使い方を教えるところだ」という社会的なコンセンサスが形成されてしまうかもしれません。

個人的には、そんな社会はまっぴらです(笑)。
みなさんはどう考えますか。